※この記事は、代表の松村が過去に〝整骨院自費成功アカデミー〟のブログで書いた内容をリメイクして投稿しております。

 

自費移行までの私の状況

僕が自費に移行する決断をしたのは2012年の10月。

当時私は(社)兵庫県柔道整復師会という公的団体に所属しておりました。
2005年に入会してかなり早い段階から、当時の柔道部長とご縁がありました関係で、会の執行部の1つである柔道部というところで執行部員も務めさせていただいておりました。

少年柔道を指導されている先生なら、毎年夏に開催される、柔道整復師会主催の少年柔道大会の準備や当日の運営など、それと社団会員の先生の大会である近畿ブロック柔道大会や県の柔道大会の準備、運営などが主な仕事でした。

また、当時、年2、3回は合同部会と称して、学術部や広報事業部、総務部等の他の部の先生と交流することもできました。

当時から、出てくる話は常に「保険がどんどん厳しくなっている」という暗い話題だけでした。
会のえらい先生もみな、「厳しい」「厳しい」と言う。

そして、みんなは暗い顔・・・・

そしてこう言うのです、「昔はよかった」と。

正直、僕はこの状況に常にイライラしておりました。

だって、そんな風ににしたのは〝ヌルかった昔〟を知っている、「昔はよかった」と言っている世代より上の柔整師たちなのに、それを棚に上げて、我々世代の柔整師に暗い話題ばかり提供する。

しかも、僕なんてちょうどまだ柔整学校が全国に20校ほどしかなく、西日本には3校しかない状況で、寄付金に安い給料で修業という文化でした。

そう、僕くらいの世代は、その労働力をものすごく安い値段で買い叩かれていたのです。
保険はヌルく何部位も請求でき、調査もなくザル状態で、人はアホみたいに安く使える、そんな状況のことを「昔はよかった」とほざいているやつらに、腹を立てずにいることなどできるはずもありませんでした。

僕は常々、まず我々若い世代の柔整師に「こんな業界にして申し訳ありません」と土下座をしながら謝罪しろと思っておりました。

 

 

保険時代の院の状況

2005年2月に意気揚々と開業して、半年くらいで〝そこそこ流行っている整骨院〟にはなりました。
しかし、ずっと悩まされていたのがスタッフ問題でした。

治療の勉強を一旦中止し、マネジメント系のセミナーはたらふく出ました。
しかし、そのどれも解決できませんでした。

スターティングスタッフであった開業前から一緒だったスタッフにいたっては、院の建物を建てた際に部屋を作り、家賃も取らずに住まわせてあげ、夜間部の学生だったにも関わらず手取りで15万円ほどの給料を渡していましたし、ダイエットメニューがブームになったときは歩合もつけてあげて、多いときには30万円ほど渡していましたが、まあ裏切るようなこと〝しか〟しませんでした。

正直、こいつのことは今でも恨んでいますが、謝罪してきたら受け入れてやろうかな、くらいには思っています。
しかも退職の際の就職先も僕が見つけ、多分その後勤務していた院を譲り受けたはず。

言いたくはないけど、僕が縁をつないだからこそ今があるんですよね、そいつ。
結局は今でもそういうところがわからない人間なんだな、と思って諦めています。
今でも同じ業界なので、もしこの記事を読んでいたらぜひ謝罪に来なさい。
仕方ないから許してあげます。笑

まあそんな状況で、売上にはそれほど悩んでいませんでしたが、なんせスタッフに恵まれずにいました。

あ、ちなみにコンサルがよく「スタッフのレベルが低いのは経営者のレベルが低いから」と言いますが、それは間違いですね。
決して僕がレベルが高い経営者というわけではありませんが、治療院業界、特にちゃんと国家資格を持ってって場合は専門学校に行くわけですが、技術的に高みを目指す気概のある若手なんぞほとんどいません。

いたとしても、大手グループ院にだまされ、そこに就職してしまい、それに染まり、結局は凡人以下になって開業することがほとんど。

要するに僕ら個人院は、ほとんど当たりがないクジを引くことになるので、そもそも経営者のレベルとスタッフレベルは関係ないんです。

 

 

柔整業界に絶望した出来事

さて肝心の自費移行のお話。
いわゆる社団には、開業している場所によっての支部があります。

2012年10月、僕が開業しているエリアの支部の集まり(たしか臨時総会だったかと思います)がありました。

当時、僕は県のほうで仕事をしていて、4月から9月くらいまではほぼ毎週土曜日は社団の仕事で埋まっていましたので、それ以外に社団関係のことで土曜日や日曜日を潰すのも嫌だったので、支部の集まりはほとんど出たことがありませんでした。

しかし、同じ支部に当時の理事(しかも副会長)がいて、当時は公益社団にするか一般社団にするかということと、公益社団と一般社団の両方を作って・・・など色々とややこしい時期で、僕個人としては社団が公益だろうが一般だろうが、内容に大差ないなら、お金に困らないほうでいいし、一般会員にそれほど影響があるわけでもなかろう的な感覚でしたが、どうも社団に染められた人たちからすると、「県(執行部)が情報を止めてる!」とか思うらしく、執行部をやっている僕にも支部のイベントに出席しろというお達しがきたのでした。

そんな中、セレモニー的に総会が終わり、その後当時の理事がその話をしてから飲み会に移行。
たしか甲子園の旅館で開催したので、会場はそのままで料理が出てくるという感じでした。

そんな中、いわゆる〝大御所〟という感じの先生が「ちょっと若いやつら集まれ」と。

「お前らちょっとヌルいから、俺が話をしたる」と。笑

 

何を言うかと思えば、

 

「肩こりは保険請求したらいいんだよ。肩こりは症状であって、原因が、う~ん、そうだな、首であることが多いんだ。首を捻挫してるのと同じなんだよ。だから頸椎捻挫で請求したらいいんだよ」

 

と、置き換え請求の指南を堂々と。笑

ただまあ、ここはいわゆる「グレーゾーン」的部分。
僕たち柔整師は診断はできないが判断はできるという部分で、一般、いわゆる無資格の人たちには判断することすら許されていない部分で、柔整師が捻挫と言ってしまえば捻挫ってことになるので、そういう点で〝圧倒的な違法〟とはできない側面があります。

しかし続けて言った内容がひどかった。

 

「でも、頸椎捻挫だけだと1部位だ。単価が安すぎるんだ。経営者なら単価を上げることも考えないといけないんだよ!だから、肩関節捻挫とか、背部挫傷とか、どこか違う場所1部位か2部位触って、その触ったところを1カ所、できれば2カ所付け足すんだよ。それだと触ってるんだから違法にはならないんだ。そして、単価もキープできるだろ。お前らは経営者としての感覚が足りないんだ。もっと数字を意識しろ!」

 

触ったから請求できるわけではなく、その部位を受傷したかどうかです。
完全なる付け増し請求の手口を堂々と大きな声で、恥ずかしげもなく言いのけたのです。

しかし、それだけではありません。

 

「若いお前らがビビって請求単価下げるから、向こう(保険者側)が調子に乗るんだよ。もっとガンガン請求しなさい!向こうが何かしてきても(多分回答書の送付)、ビビらずに出し続けて(多分高い単価のレセ)たら、何も言わなくなるんだよ!経営者ならもっと攻めろ!」

 

と。
色々間違ってますよね。
ところでこの先生、関西出身なんですがなんでいつも標準語なんだろうといつも疑問なんですけどね。

もちろん、他の若手の先生もドン引きしてました。

しかし、問題はこの老害柔整師がえらそうに言ってることだけはありません。

老害柔整師のとなりには当時の理事が座っていたわけですが、「うんうん」とうなずいていたんですよね。
あげく、その老害柔整師が「先生からも何か言ってやれ」と話をふった際「若いうちはわからないことも多いから、こうやって会のイベントに出て大先輩から教えていただきなさい」的なことを言ったわけです。

「社団は不正指南団体なのか」という話になってしまいますよね。

その瞬間に僕は、

「柔整業界の公的団体といばっているこの団体がこの体たらくでは、この業界はもう終わりだな」

 

と、絶望したのです。

 

 

僕は僕なりに業界に貢献し続けたかった

絶望するまで、僕は県の執行部で仕事をしていましたし、それだけではなく、少しでも会が良くなるのならと思って色々とやってきたつもりです。

それこそ上の先生に嫌われてでも良かれと思うことは発言してきました。

当時、僕の院がある町内の老人会から転倒予防体操の講座をお願いされた時も、自分の院の屋号ではなく〝(社)兵庫県柔道整復師会の松村〟が開催するということにして町内の回覧板に回すチラシや地区に配布する会報などには書いていただくようにしていました。それを月1回約5年、無償でやってきました。

社団を悪く言う、社団に入ったことがない先生はぜひ一度社団に入ってみてください。
今回の記事のような老害柔整師もいるにはいますが、良い先生もたくさんいます。
業界のことを考え、滅私奉公的に頑張っておられる先生もたくさんいて、その先生方のおかげで柔整師が柔整師でいられるという部分もあります。

悪いだけの団体ではない、だからこそ、害虫のような柔整師が会に関わらず、そして本当に良い先生方がリーダーとなり、当時の僕ら世代がそれを下で支えるというスタイルを作りたかったのです。

要するに早急な世代交代が必要だと感じたわけですが、ゴキブリなみのしぶとさに呆れ果てたという感じでした。

 

 

自費化を決意

老害柔整師はまだまだ死なず、元気に不正を指南し続ける。
そしてそれを咎めることもなく放置する、さらに大御所扱いをするそんな会に貢献する必要はあるのか?と考えたときに、僕の中ですぐに答えが出ました。

 

「患者さんを全力で一人一人ちゃんと診ていこう!今までの経験と培った技術があれば、絶対にできるはず!でも保険制度では限界があるから、自費治療をやっていこう!」

 

そう思いました。
(これが大きな間違いだということには後で気づきます。)

 

とはいえ僕も子供は居ませんが、嫁とネコ3匹(当時)がいる身です。
やはり家族は守らないといけません。

奥さんに相談しました。

ありがたいことに僕の奥さんは度胸があるので「やったらええやん、いやいや保険続けるよりよっぽどええで」と気持ちよく承諾してくれたため、「翌年から保険をやめて自費にする!」と決めたのでした。

 

続く

 

※冒頭で、(社)兵庫県柔道整復師会でのエピソードを書いておりますが、決して団体そのものを批判しているわけではなく、事実をありのままに述べているだけです。

なお、僕の考え方は「社団に入ったことない先生は社団の文句を言う権利ないよね」です。

言っても古い団体です。
だからこそ、老害な人たちもたくさん存在してしまいます。
また、ものすごく人格者の先生もおられるかわりに、電話をかけてこられても、とても堅気の方とは思えないような言葉使いで電話をかけてこられるような、とことん社会人としてのレベルがゼロ以下の先生も存在してしまうのも事実ですが、それは社団に限らず一定数存在します。

僕自身も社団で、たくさんのすごい先生、良い先生に巡り会うことができました。
この記事をお読みの方には、ぜひそのあたり安易に「松村は社団を批判してる」という勘違いはしないでいただきたいな、そう思います。

 

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